柵の向こうの風景 里山とイノシシの今

のどかな山里を歩いていると、ふと目に飛び込んでくる無機質な鉄線「電気柵」。田んぼや畑を囲うその存在は、かつての穏やかな里山の風景にはなかったものです。今では当たり前になったこの柵も、そもそもはイノシシなどの野生動物による農作物への被害を防ぐために設けられたもの。けれども、どこか違和感を覚えるのは、私たちが忘れかけている“かつての関係性”があるからかもしれません。
思えばイノシシは、昔の山里の暮らしにとって、重要な蛋白源でした。山の恵みとして狩猟され、命をいただきながら共に生きていた存在。しかし、生活様式の変化とともに、その関係も大きく変わってきました。石炭や石油といった化石燃料に依存する暮らしは、私たちを都市へと向かわせ、山村は人の手が入らないまま、静かに荒れていきました。
手入れされなくなった里山では、かつて焚き木を拾い、炭を焼いていた場所に草が茂り、藪が広がっています。下草を刈る人も減り、かつての明るく開けた雑木林は、獣道すらも消えてしまいました。人の手が加わることで維持されていた“人と自然のちょうどよい距離”は、いつの間にか崩れ、里山は人にも動物にも優しくない場所になってしまったのです。
そんな環境の変化に敏感に反応したのが、イノシシたちでした。彼らにとって、藪に覆われた森は動きにくく、食べ物も乏しい。そうなれば、より豊かで開けた人里へと出ていくのは、ある意味当然の選択でしょう。荒れた森を抜けて、田畑へと降りてくるイノシシの姿は、ただの“害獣”として片付けられるものではなく、失われつつある環境バランスの象徴でもあります。
ところで、イノシシが実はグルメであることをご存じでしょうか?鋭い嗅覚と丈夫な鼻先を駆使して、地中のユリ根やタケノコを掘り当て、木の実や昆虫、時にはマムシまでも平らげるのだとか。その食の幅広さには驚かされます。もしかすると、私たちが“美味しい”と思う山の幸のいくつかは、彼らから教わったものなのかもしれません。
里山とは、人と自然とが寄り添って生きてきた証。イノシシたちの生態に目を向けることは、私たち自身の暮らしの変化を映し出す鏡でもあります。柵の向こうに広がる風景 --- それは、単なる獣害の防止策ではなく、かつて共にあった暮らしへの問いかけなのかもしれません。