保持林業 ほじりんぎょう
保持林業とは、皆伐(大面積を一度に伐採)を基本とせずに、立木の一部を「残して、活かして、使う」林業の総称です。成熟木や間伐木を選んで小規模に伐採し、残した木や自然の力で森を再生させます。英語では Continuous Cover Forestry(連続林冠施業)や Selection Forestryとも呼ばれます。

写真:国立研究開発法人 森林研究・整備機構
保持林業の実証実験プロジェクト
日本の林業は長い間、「一斉に伐採(皆伐)→一斉に植林→育てて再び皆伐」というサイクルが主流でした。皆伐は効率がよく、同規格の材を大量収穫ができますが、伐採直後は裸地化による土壌流亡や生物多様性の劣化などの課題が顕在化します。そこで伐採時に一定割合の立木や枯死木(デッドウッド)を意図的に残し、とくに広葉樹を積極的に保持する手法が注目されています。北欧・北米で先行し、日本でも研究・現場実装が進みつつあります。
保持林業の特徴
- 景観や生態系の保全
森林を常に緑で覆ったまま維持するため、景観や野生生物の生息環境を守りやすい。
- 土壌保全効果
大規模な裸地ができないため、表土流出や崩壊リスクが低い。
- 持続的収穫
適期に適量を伐採することで、世代の異なる木が混在し、毎年一定量の材を得られる。
- 多様な樹種構成
自然更新を活かすことで、針葉樹・広葉樹の混交林を形成できる。
保持林業の主な方法
- 択伐(たくばつ)
樹齢・樹種・健全度を総合評価し、個体ごとに選木・伐採する。
- 小面積皆伐+天然更新
小さなパッチごとに伐採し、周囲からの種子や苗木(稚樹保護)で再生させる。
- 更新間伐
間伐を更新の一部として計画的に進め、林冠を途切れさせず、徐々に世代交代を促す。
- 残置木の設定
広葉樹や針葉樹、枯れ木を目標本数や群状で、意図的に残す。
世界での歴史
近代林業のモデルを築いたドイツでは、18〜19世紀の過伐・森林荒廃(森の伐りすぎで荒れた経験)を経て、持続的森林経営の理念(森を持続的に利用するための方法)が発達しました。その中で、森の緑を絶やさずに木を伐る「連続林冠施業(Continuous Cover Forestry)」という考え方が生まれました。これが保持林業の原型となります。
20世紀後半になると、工業化に伴う木材需要増で皆伐・単一樹種造林が主流になる時期もありましたが、環境保護の意識が高まり、皆伐だけに頼らないやり方(択伐型・混交林型管理)が注目されました。
21世紀以降には、ヨーロッパや北米では気候変動や生物多様性保全の観点から、皆伐を避ける「プロ・フォレストリー(ProSilva)」運動などが活発化します。生物多様性や気候変動対応の観点から、保持林業的アプローチが主流の一つとして位置づけられてきました。
日本での歴史
江戸時代の里山では、薪や材木をとるために少しずつ伐採し、また生やす方法(萌芽更新)が行われていました。
明治以降にはドイツの林業を参考に択伐(選んで伐る)も試みられました。官林や一部の民有林でドイツ式択伐林業が試験的に実施されました。特に天然スギ林や天然ヒノキ林で択伐施業が行われています。
戦後の復興期には国産材の大量供給が求められ、人工林をつくって皆伐・再造林を繰り返す方式が全国で主流になりました。保持林業は限定的な実施にとどまっていました。
1990年代以降、生物多様性や流域治水、景観・観光、再造林コスト、担い手不足などの課題を背景に、人工林でも択伐的施業や長伐期施業(長い期間育てる方法)が広がってきています。最近では広葉樹や一部針葉樹、枯死木を残す保持林業の研究や実践が増えています。皆伐主体の現場でも延長線上で取り組みやすい方法として関心が高まっています。
日本での事例(研究・実験・取り組み)
研究・実証の進展
北海道・空知地域では、道庁・大学・研究機関が連携し、1ヘクタール当たりに残す広葉樹本数の違いや、針葉樹パッチの残置など複数の実験区で効果を検証しています。これまでの知見として、
- 広葉樹を残すほど鳥類の保全効果が高い。
- 甲虫(オサムシ類)でも、残す広葉樹本数が増えるほど種数・個体数の減少が抑制。
- 針葉樹パッチの残置も一定の下支え効果がある。
- 広葉樹を残した場合と残さない場合で、木材生産コストは大差がない=生産性を大きく損なわない可能性。
伝統・地域に根差した択伐の継承
- 長野県木曽地域の択伐林業
江戸時代から続くヒノキ・サワラ天然林の択伐管理を実施。大木を選び伐り、若い木を守って育てる取り組みが行われています。
- 高知県魚梁瀬(やなせ)地区の天然スギ択伐
樹齢数百年のスギ林を、数十年ごとに一部ずつ伐採。豪雨地帯でも森林被覆を保つことで、土砂災害防止と林業経営の両立に取り組んでいます。
- 北海道の天然性広葉樹林経営
ミズナラやシナノキなどの混交林で、更新間伐や小面積皆伐+天然更新を組み合わせを実施。家具材・合板材・薪炭材など多様な用途を支えています。
- 都市近郊の景観林管理(京都府・奈良県など)
観光資源や文化財周辺の森林では、景観維持のため保持林業的管理を採用。伐採後すぐに緑が失われる皆伐は避け、常緑広葉樹や針葉樹を適度に残します。
政策・白書での言及
近年の森林・林業白書では、特集テーマとして「生物多様性を高める林業経営と木材利用」が掲げられ、保持林業や異年齢林のモザイク配置、針広混交と抜き伐り・択伐などの事例が紹介されています。生物多様性国家戦略(2023–2030)や「30by30(サーティ・バイ・サーティ)」目標、ネイチャーポジティブの国際潮流も相まって、林業経営と生物多様性の統合が求められています。
なぜ広葉樹を残すのか(生物多様性の観点)
従来は同一樹種・同一樹齢化による成長・作業効率・規格材確保・一斉収穫の経済性が重視され、植林木の生育を妨げる広葉樹は除伐されがちでした。しかし、これでは気象災害・病虫害への脆弱性が高まり、伐採直後の裸地化で土壌乾燥・流亡と生物多様性の劣化が起きやすいことが指摘されています。
伐採時に高木や広葉樹、枯死木(立ち枯れ・倒木)を一定割合で残すと、日陰の形成、餌資源(果実・種子・腐朽木の昆虫相)、営巣・潜伏場所が確保され、再生速度が上がり、樹種多様性・階層構造が豊かになります。結果として、レジリエンスの高い森づくりと、流域治水・土砂災害抑制・景観形成にも資することが期待されます。
メリットと課題
メリット
- 環境保全と材の利用を両立しやすい。
- 生物が住みやすくなり、生物多様性が高まる。
- 裸地化が避けられるため、表土流亡・渓流水の極端な変動を抑制。
- 景観や観光にも役立つ(観光・レクリエーション林とも相性が良い)。
- 長期的な森の健康維持に貢献(災害や病害虫の被害を分散できる)。
- 木材生産の持続性。実証では残置によるコスト差が小さい例も報告され、木材生産を阻害しない可能性が高い。
課題
- 木を選ぶ知識や技術が必要。作業の計画や伐採技術に高い専門性が必要。
- 短期的な収益は皆伐方式より少なくなる場合が多い(短期間で大量の材を得にくいため、市況や需要に応じた販売設計が必要)。
- 市場が求める規格材を揃えるのが難しい場合がある(異なる種類や大きさの木を使う市場や、規格・流通・加工の整備が必要)。市況や需要に応じた販売設計が必要。
- 実装ギャップ(地域や制度によって進め方)が異なる。地域計画・国有林・補助制度などでの運用一貫性や、再造林・長伐期との整合が課題。
国際動向と政策との関係
気候変動(UNFCCC)と生物多様性(CBD)は相互に関連し、ネイチャーポジティブや30by30といった国際目標の下で、森林は吸収源機能だけでなく生物多様性の中核としての役割が求められています。日本でも生物多様性国家戦略(2023–2030)により、農林水産業での生物多様性重視が明確化し、森林・林業白書でも保持林業や混交・異年齢化の事例が整理されています。
一方で、木材増産や再造林の遅れ、伐期設定、外来樹種の扱い、再エネ・バイオマスと森林保全の整合など、政策・現場間のギャップも指摘されます。保持林業は、現行の皆伐主体の現場からでも移行しやすい「橋渡し」の実装手段として位置づけられ、地域ごとの条件に即した最適化が鍵となります。
保持林業は、森林の被覆を保ちながら利用を続けることで、生物多様性・土壌水保全・景観・災害レジリエンスと木材生産の両立を図る施業です。広葉樹や枯死木の残置、高木の保持、混交化・異年齢化などの工夫により、「伐って終わり」ではない森づくりを実現します。研究・実証と民間の実装が進む今、地域資源・市場・政策を結びつけた実現可能なデザインが求められています。